店主、邦画でもう一度見たいと思う作品はあまり無いのですが
この「歩いても 歩いても」(2008年)はまた見たいと思いました。
今の年齢になって、1度目にはピンとこなかったのに
今ならすごくわかるなぁ・・・というシーンがいくつもあって面白いのです。
(作品公開からちょうど15年。樹木希林さん、原田芳雄さん、加藤治子さんが故人となられ寂しい限りです・・)
町医者をリタイアした無口+頑固な父親(原田芳雄)と
料理上手でおしゃべり好きな母親(樹木希林)が暮らす海辺の街。
子連れの女性と結婚したばかりの息子(阿部 寛)は、
妻と継子を連れてその言葉の端々に父親に対する反感を滲ませつつも
海で事故死した兄の15回目の命日に帰郷します。
自分よりもずっと頭が良くて 父親からは「後継ぎ」として
母親からは溢れんばかりの愛情を注がれていた兄。
いつも比べられてばかりだった自分・・・
屈折した彼の心は、いいトシした大人になっても
両親の一言一言に過剰に反応してしまいます。
樹木希林さんが演じるのは、家事一切をまめに取り仕切る
気のいい初老の母親のステレオタイプ。
同じく陽気で家族の間の会話や気詰まりを うまくとり持つ長女。
子連れ再婚という自分の立ち位置を、夫の両親は認めてはいないはず、という
強い劣等感を抱えながらも、家族のシガラミに従順に従おうとする嫁。
初めのうちは それぞれ良くあるわけありの
でも家族だからしょうがないね! 程度の家族劇が進みます。
ほのぼの系の映画かな?と 思わせられますが
笑顔を絶やさずいろいろ気配りしてくれる、孫の面倒見もいい母親が
時折出す「毒」が見えはじめます・・・。
まず印象的だったのは 墓参りに行って 誰かが手向けてくれたひまわりの花を
こんなもの 邪魔だといわんばかりにさっさと引き抜き
(誰が生けてくれたのかしら と感謝もせず)
帰り道で見つけた他人のお墓の花瓶に放り込むシーンでした。
一方 父親は自分の後継ぎを不慮の事故で失ってから15年も経つというのに
今だに「医者はいいぞ〜」「あいつ(長男)は後継者(あととり)だったんだ」・・・
とぼやき続けています。
洋の東西を問わず 医者はかならずと言っていいほど 子供を医者にしたがります。
(あ 政治家もそうですね。世襲のバカ議員ばかり)
医者になる程頭のいい人が
親は親 子には子の人生がある とは考えないのはなぜなんでしょうね。
「連れ子」の少年がひとり
夜空に向かって亡くなった父親に宣言するシーンが好きです。
そうだよ 自分で決めた自分の人生を 自分の足で歩いて行くんだよ!
と応援したくなります。
長女は「賑やかに孫の顔を見せに行ってあげるのが1番の親孝行ヨ」と公言しますが
体力が落ちつつある親にすれば、来てくれないと寂しいが 帰るとホッとするのが本心。
実の母親を乳母兼家政婦がわりにする娘さんも多くなりましたが。
温かく 甘えに満ち、そして毒を孕み、非常に煩わしい・・・
それが家族というものなのです。
作品のはじめの方で、元医者の父親が
お向かいの老婦人(加藤治子さん)と会話するシーンがあります。
ずっと「お世話になった先生に 最後は脈を取ってほしい・・」と彼女は言いますが
現実は救急車で運ばれて行き、父親は何もすることができません。
「ジギタリスは飲むように言っといたんだが」それだけ言うのがやっとでした。
ジギタリスは心臓病に使われるお薬ですが、猛毒でもあります。
家族というものも、このジギタリスのようなものなのかもしれません。
痛みや苦しみを癒す薬であると同時に、毒でもあるのです。
毒の苦味も味わい、納得しながら、
自分の元居た家族のことを 今居る家族に伝えて
そして人生は続いて行きます。
タイトルの「歩いても 歩いても」は
1968年の大ヒット曲 「ブルーライト横浜」のサビの部分の歌詞。
歩いても 歩いても これ!と言う答えは見出せない。
「小舟のように」揺れ動く心・・・ を歌います。
この小舟のような2枚のラヴィエの絵柄は
ワイルドローズにツバメが一羽きり。
もう一枚にはなぜかツバメの姿がありません。
鳥は複数で描かれるのが多いのに珍しいですね。
真っ白なポーセリン製 金彩もほとんど綺麗に残っていて美しいセットです。
ツバメのいない方のお皿に一箇所 アタリによるカケ、短いラインがあります。
窯名不明
金で数字が書かれていますが、何を示すものかはよくわかりません。
27.5センチ×16センチ 大きめのラヴィエ
ワイルドローズとツバメのラヴィエ 2枚組
セットで5,900円